第61回正倉院展が始まった。去年初めて眼にした、これらの宝物は私の心を動かした。それ以来、この日を待ちに待っていたのである。
秋晴れのさわやかな朝、雲ひとつない晴天に黄色や紅色の木々が映え、奈良はすっかり秋の装いである。休日にもかかわらず、いつも通りの時間に起き、奈良へ出発した。しかし、それでも、待ち時間が30分かかり、ようやく展示場へ入場となった。
<正倉院>は、もともと東大寺の倉庫(正倉)として8世紀中ごろに建築されたものだ。南都七大寺にそれぞれ、正倉があったが、現存するのは、この東大寺の正倉だけである。子供の頃に聞いた、校倉造りはこの建築物に代表される。宝物の奉納は、夫である聖武天皇が崩御し、その49日法要の際に、光明皇后が東大寺に供養したものが、そのはじまりである。
今年は、天皇陛下ご在位20年記念のプレミアムで、また、土曜日ということもあり、かなりの見学者となった。ショーケースには、何重にも人だかりができていたが、身体が大きい私は、ケースの前には、行きづらく、やや遠めからの見学しかできなかった。人の多さにややうんざりしながらも、工芸品から、楽器、生活用品、古文書など、考えぬかれたコースを思い深く回った。
出展のいくつかを紹介します。
もっとも多くの人だかりは、この琵琶である。<紫檀木画槽琵琶>
貝の螺鈿細工や赤のメノウなどが、ひときわ美しい鏡である。<平螺鈿背円鏡>
直径が60cmある、大きな銀板である。いったい何をのせたのだろう。<金銀花盤>
今の消しゴムにあたるもので、間違えを削り落とすためのもの<緑牙の刀子>
現在の法務局にある地積測量図の原形で、マス目ごとに地積がかかれ、税金の算出根拠となった。<東大寺開田地図 ・ 越前国足羽郡糞置村地図>・・・・地名の糞置村というのは、いかがなものか。
6年に一度、行われる戸籍の改製。本人特定のため、ほくろの位置がかかれている。<正倉院古文書 ・ 山背国愛宕郡出雲郷計帳>
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他に、ヤギのじゅうたんや、刀、香炉など。
特に、面白かったのは、写経者の待遇を記した文書である。 何枚写経できれば、布1枚とか、またミスをすれば、減額など、きちんと規則がある。この当時の執務時間は日の出から正午までなので、かなり真剣勝負であったにちがいない。
今年の正倉院は、足早に回ったので、一点一点、吟味できなかったが、やはりこの展示会は奈良時代の天平の輝きがある。多くの宝物は、MADE IN JAPANではなく、まさにシルクロードの終着駅にふさわしく遠くはトルコ、西アジアから、また国際都市の中国から渡来したものであった。
1250年間、9000点もの文物が長期に保存されてきた。いえば、日本史を股にかけてきた、驚くべき保存力である。東大寺僧が虫払いをする以外は、だれも、中には入れなかった。今は展示や調査があるので、毎年10月上旬に開封され、12月初旬には、また封がされ、立入りが禁止となっている。
ひたむきに、次に伝える。この崇高な使命は、いったいどこから来たのか。何を伝えようとしたのだろうか。途中で火災にあえば、焼失され、もはや次に伝えられない。ひとつの油断も許されず、厳護されたものとは、いったい何だろう。
会うことのない未来の日本人のために、というよりは、ただひたすら、伝える事に、すべての意味を持たせたに違いない。私は、この感性に、なにかしら、日本的なものを感じるのである。