民放の番組をほとんど見ない私にとって、公共性の高いNHKは安心して見られる番組が多い。
宣伝広告費を稼がないと経営できない民放にくらべ、NHKは、受信料で支えられているためか、やらせや虚偽放送、また、安っぽいセンセーショナリズムが少ないのもいい。
その受信料の請求も、去年から戸別訪問がなくなり、不要なバトルを玄関先で行う大阪人も、さぞ減ったにちがいない。
今年、NHK教育TVが50周年を迎えた。総合TVは、年末の紅白歌合戦のように、一部視聴率を気にするらしいが、この教育TVは、そうした、俗的な感覚を無視して、わが道を行く。
私がこの教育TVを見た初めての番組は、なんだったか、覚えていない。しかし、その頃「たのしい教室」と「はたらくおじさん」が、大好きだった。今は、放映されていないが、「たのしい教室」は小学校の教室を舞台に、今で言う学園ドラマだ。また、「はたらくおじさん」は、社会ではたらく人々に、子供だったか、人形だったかが、いろいろ質問して、紹介するというものだったが、いつしか、こちらが、「働くオッサン」になってしまった。しかし、この番組の歌がDVDで売られているが、今も、口ずさめるほど、心地よく記憶している。
やがてこの教育TVもマンネリ化が進行し、番組の構成が、ほとんど変わらないという事態が続いた頃、たしか、ETV8(今は、ETV特集)という、型破りな番組が放映されたのをキッカケに、大きく変わり始め、IT以後はTVの画像技術の進歩に伴い、見やすく、ややリズムのある番組が多くなったように思える。
私は、このETVには、いろいろ影響を受けた。
あれは、20年前だろうか、カナダのトロント放送が放映したものを、日本語吹き替えで、放送したものがあった。「ドクターピーターのビデオレター」というものだ。医師である、ピーター先生は、HIV感染者で、発症(AIDS)してから、毎週1回、経過報告の形で、自分の身体が衰えいくさまを、国内に発信した。散歩をするピーターが、やがてベッド生活になり肺炎をおこし、失明していく。彼は家族や付き合っていた彼、多くの仲間とともに過ごし、AIDS感染防止のボランティアにも積極的に参加した。最後のビデオレターは、彼の死の2週間前であった。彼は失明したときから、「自分の生命は、吹き抜ける風や、打ち寄せる波、大きな海、そして、この宇宙と一体化する」と言い出した。なにか大きなもののなかで、生きているという実感があったのであろう。その大きなものの中に抱かれて死を迎えた。きっとその死は安らかであったにちがいない。
その当時、HIVという言葉は聞かなかった。ただ、AIDS感染者というと、なにか、ふしだらな者が天罰にでもあったったかのような風潮があり、はげしく差別されていたことを今も忘れない。
やや挑戦的にも見れる、こうした番組を、続けてくれることが、徐々に感性が鈍化してきた人間(私)にとっては、刺激的に、かつ、好意的に受け入れてしまうのである。
さて、先日、50周年記念企画で、教育TVの逆襲というものがやっていたので、次回、少しその内容を紹介したい。