この奈良時代は、大陸から、様々な文物が流入し日本文化の源流にもなっている。特に、仏教の伝播は、日本人の精神性に大きく影響を与え、今に至る。
正倉院にも、数多くの仏教関連の宝物が残されている。この当時、仏典は貴重なもので、コピー機が仕事や生活に欠かせない現代とはちがい、書き写しの作業は、すべて手作業であった。危険な海を渡り、運ばれた仏典を、一字一句間違えずに、書き写すのは、かなりな重労働であったであろう。役所は、図書寮の写経司である。
今回の展示に出展されたのは、その頃の写経生の休暇願と欠勤届である。
相当に、厳しい仕事内容だったのか、次のような、文章が残っていた。

<休暇願>
・病気で、3日休んだが、あと、5日休みたい。
・足に腫れ物ができたので、休みたい。(作業着を一緒に返却した)
・家の修理に休んでいるが、もう5日かかりそうなので休ませてください。
<欠勤届>・・・不参解という
・姑の死去により3日間休みます。
・病気のため、欠勤します、今休まないと命にかかわりますので。
・・・・・・などである。
この役所は、トップが従五位上で、高級官僚だが、写経については、写経手>装丁>造紙手>造墨手>造筆手と身分が下がる。
労働基準法もない時代に、過酷に使役さえていたのだろうか、その文面は切実であった。
1300年前のサラリーマンも、今とは変わらぬ、心境だったのかと思うと親しみさえ覚える。さぞ、上司の顔をうかがいながら、提出したにちがいない。
このほかにも、6年に1度だけ、作成された戸籍であったり、写経の現物であったり、金具などを作る金属の分量を解説したものまである。
↑写真の文章は、北倉で、平安時代に4回行われた棚卸しの在庫表である。
私は、はじめて、この正倉院展を見学したが、ここはまさに、日本の宝蔵であり、もはや世界遺産だと思っている。飛鳥文化→白鳳文化→天平文化と時代とともに、変化発展し継承されてきたのである。展示された69点の宝物も、今日で再び正倉院へ帰る、そして、また、あの薄暗い蔵の中で、数十年。今度は未来の日本人たちに、披見される日を待つのである。