第60回 正倉院展 ① ・・・・奈良国立博物館|PRIVATE|スタッフ日記|株式会社アイムホーム

第60回 正倉院展 ① ・・・・奈良国立博物館

正面.JPG表紙正倉院展.jpg

1年に1度だけ、この秋のわずか17日間という短期の展示会、しかしこの展示会の格式は、わざわざ東京皇居より勅使下向による開封からはじまる。その高貴さは、他に類がない。1300年の時を経ても、なお、天平の香高き文化の華々を今に伝えるのが、私が昨日行った、<第60回   正倉院展>である。

奈良は大阪よりも標高が高いこともあり、涼風が、鹿のフンのにおいとともにやってくる。(笑)

きっと、入れないほどの、見学者がいるにちがいないと思ったが、それは正しかった。大蛇のような人の列に飲まれながら、会場へ(新館)。そこは、飛行機どころか、船さえ、まともなものがない奈良時代に、遠く西方のかなた、ローマやペルシャの文物が、まさに遠路はるばるシルクロードを歩き人々に手渡され、やがて日本に到着したものである。

正倉院遠景.jpg 倉庫.jpg  

 

<正倉院>は、もともと東大寺の倉庫(正倉)として8世紀中ごろに建築されたものだ。南都七大寺にそれぞれ、正倉があったが、現存するのは、この東大寺の正倉だけである。子供の頃に聞いた、校倉造りはこの建築物に代表される。

しかし、この一見、ひとつの大きな倉庫のように見えるが、北倉、中倉、南倉と内部で、三つに仕切られている。真ん中の中倉は、校倉ではなく、板造りである。内部が2階建で高床式のこの倉庫は、温湿度が安定している。

1300年昔に、よくも、こんなものが作れたものだと、驚く。また、この倉は、宝物の奉納以後は、勅許がないと、東大寺の役僧さえも、開けることができない、勅封蔵であった。ここまでしないと、現代にこの古代の美に触れる事もなく、その当時、海を越えた交流があった証拠もなかったわけである。

宝物の奉納は、夫である聖武天皇が崩御し、その49日法要の際に、光明皇后が東大寺に供養したものが、そのはじまりである。宝物を見るにつけ、私は、夫、聖武天皇を愛した、妻、光明皇后の愛情の深さを感じざるを得ない。奉納された、遺愛品は、ほとんどが北倉に収納されていた。

 北倉の宝物は、こうした事情もあり、毎年、4,5点の出展しかない。その当時の技術の粋を極め、宮中を飾った調度品である、いわば、国宝級の宝物ばかりなので、それも、しかたがない。実際の正倉院展も、展示物は、中倉(役所関係)、南倉(お寺の什器、生活用品等)が中心であった。

さて、その宝物とは・・・・・      <つづく>

 

 

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